現代の奴隷制度と未来

現代は、未来から見た時に、資本家による労働者に対する奴隷精度の時代と見なされるであろう。

労働者から資本化になる人もいたが、ごく稀であり、多くの人は、半強制的に多くの時間を労働に使わなければならなかい。

平均的に6時間は寝なければいけないとすると、人生の時間の1/4は睡眠に使われる。残りの活動時間(寝ていない時間)の内、労働に使う時間が占める割合は、多くの人は1/2以上であり、9割以上を労働に使っている人もいる。

単に安心して、安全に生活するためにそれだけの時間を使わないといけないとすれば、それはほとんど意思に関係なく、強制的だと言っていいように思う。

そして、将来に渡り、多くの人がは安心と安全を保証する金銭的な富みを得られず、将来の安心と安全のために労働をしていると言えるように思う。

一方で、労働をせずに、金銭的な投資だけで金銭的な利益を得ることができる現代は、全く労働に時間を使わなくてもよい人々がいる。

そして、その金銭的な利益は、労働している人によって生み出されている。

そう考えると、現代は、資本を持ち働かなくてもよい 少数な一部の人と、労働せざるを得ない多数の人がいて、資本を持っている人は、労働する人がいることで成り立っている、と言えるように思う。

こういう状況を説明する表現として、奴隷制度という言葉が当てはまるように思う。直接的な奴隷制度(直接的に人が人に対して、何かを強制している状況)ではないが、間接的な奴隷制度(結果的に、強制的に何かを行う必要があり、その行動のおかげで、何も強制されない人が成立つ状況)であると言えるように思う。

ゆえに、未来から現代を見た時、現代は資本家による、労働者に対する奴隷制度の時代とみなされるであろう。

※この論理展開には、記述を省いている説明や前提が多くある。

しかし、この間接的な奴隷制度と言える状況は、多くの人の声や行動により、変化するであろう。

労働時間はだんだんと短縮され、自由な時間が増えるであろう。

人は、お金のためではなく、好奇心や探究心、向上心や想いやりによって行動し、その行動によって、新たな富が生み出されていくであろう。

そうした行動が増えるにつれ、お金の価値はだんだんと薄まっていき、それに伴い、富はより多くの人に分配され、誰もが安心と安全と自由を得られるようになるであろう。

この流れは、おそらく自然発生的に生まれ、加速していく。人々はお金を媒体にして価値を交換するのではなく、心を媒介にして価値を交換するようになる。

これは、人類の生産性が上がった際に起こる自然な流れである。

最初はゆっくりと、そして、ある時点から急速に状況が変わるであろう。しばらくは、まだゆっくりとしか変わらない。しかし、間もなく急速に変わり始める。

変化の時に、一時的に被害を被る人もいるが、長い目で見れば、安心と安全と自由は拡大され、お金の価値は薄まり、より心を大切にするようになるだろう。

安心・安全・自由の拡大と、お金の価値の減少と、より心を大切にする行動の拡大は、全て連動しており、より(自分の)心を大切にする行動の拡大は、(全ての人の)心を大切にする価値観を拡大していくであろう。

そうした価値観は、より(自分の)心を大切にする行動を生み出し、そうした行動はお金の価値を薄め、お金の価値が薄まるにつれ、安心と安全と自由は拡大される。

つまり、一連の流れは循環する。循環するということは、加速するということであり、急速な変化がまもなく起こるであろう。

※この論理展開は直観的なものだが、丁寧に論理を展開すれば、ほとんど確かなものとして証明できるであろう。

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